2016年10月15日土曜日

高知城 その2 (高知県高知市)

2016年9月24日訪城。

前日夜景を見た高知城へ次の日は朝から向かった。現存天守は大体お昼前後から15時くらいにかけては他の観光客や団体客が殺到して大変な目に会うからだ。


高知城の水堀
城下町とお城の間には水堀が残っており、ここを渡って城内に入るのだが、高知県庁のあるあたりからはフェンスで仕切られて休日は城内に入れない袋小路になっているため注意が必要。(南から向かったため見事に罠にかかった)


橋廊下(詰め門)
夜は閉鎖されていた詰の門だが9時からは開放されている。外から見るとまるで櫓門だが、上部は二の丸と本丸を繋ぐ廊下橋なのが面白い。


黒鉄門
本丸の逆側には黒鉄門があるが、この門も出入り口が片側に寄っていて面白い。


見張り用の狭間
本丸内部は門の他にも多聞櫓に本丸御殿、天守閣と現存する建物が多かったが、中には他の城では見たことのない造りもあった。それが土塀に見られる「見張り用の狭間」で、矢狭間や鉄砲狭間からだと、戦場の様子が分かり辛いため設けられたのだという。


天守から見た城下町
やはり早い時間だと御殿内部も天守閣内部もほとんど人が居ないため、すんなりと見て回ることが出来た。天守閣最上階からは城下町を見渡すことが出来たが、少し曇った感じの天気だけは残念だった。


天守から見た二の丸
天守閣から見下ろすとよくわかるが、現存する建物のほとんどが本丸に集まっており、二の丸や三の丸は今は広い空き地状態である。


太高坂城時代の石垣
なお、三の丸のその空き地の一画には、発掘調査で出土した大高坂城時代の石垣が露天展示されていた。この石垣は長宗我部元親が築いたもので、確かに山内一豊の築いた石垣よりも荒くて古いタイプの野面積みである。


御台所屋敷跡
他、城の西側の御台所屋敷跡付近は今も発掘調査を実施しているためか、辺り一帯立ち入り禁止となっていた。

山内一豊像
余談になるが、山内一豊の銅像は画像のように立派な装いだが、観光客に気づかれないような立地場所にあった。妻の千代と馬や板垣退助の銅像は追手門から本丸に向かう道中にあるだけに余計泣けてくる。