2018年2月18日日曜日

2月の連休旅行:若松城(福島県会津若松市)

2018年2月10日訪城

日が暮れてからは大内宿から会津若松市内へと移動し、「絵ろうそく祭り」のメイン会場である若松城址(鶴ヶ城公園)へと向かった。

西若松駅前
会津若松駅まで行ってバスで城址に向かうよりも、西若松駅から徒歩で向かった方が早いため西若松駅で降りたところ、駅前ではちょうど何かイベントをやっていた。城址に向かうのが優先だったためちゃんと確認していないが、絵ろうそく祭り関連のイベントだろうか?


絵ろうそくの灯篭
若松城址に入ると出丸から本丸へと向かう道の脇に絵ろうそくの灯篭が並んでおり、なかなか良い雰囲気だった。灯篭の中には画像のように洒落た感じのものや、学生が方形の筒に穴を空けて絵を作ったもの等もあり、なかなか面白かった。


本丸の風景
本丸内部には大きめの灯篭や、紙の風除けが付いた燭台が立ち並び、なんとも美しい光の風景を作り出していた。


地上から見た絵ろうそくの地上絵
本丸の中の灯篭のうちの画像の箇所は地上絵になっているが、当然ながら地上からだと何が何やらわからない。


天守閣から見た絵ろうそくの地上絵
絵ろうそく祭り期間中は夜でも天守閣内部に入れるため、天守閣の最上階に登ったところ、戊辰150年の地上絵だと分かった。また、絵ろうそくの灯りも上から見ると一味違って綺麗だった。


天守閣から見た夜景
絵ろうそくも綺麗だが、一方で夜景もまた綺麗でこれだけでも来た甲斐があったものだった。

2018年2月17日土曜日

2月の連休旅行:大内宿(福島県下郷町)

2018年2月10日訪問。

2月の連休は何か冬の風物詩を見たいと思い、ちょうど冬のお祭りが行われている福島県の会津へと出かけた。最初の目的地である大内宿の宿場町へは東武鉄道から野岩鉄道経由の会津鉄道で向かったが、その道中は朝のラッシュ時の東海道線より酷い混雑で、鉄道で移動していた小学生?たちの悲鳴や駅のホームで途方に暮れていた人々の顔が印象に残っている。

湯野上温泉駅に着いてからは1日千円の観光バスで大内宿へ移動したが、鉄道客の中には大内宿のお祭りが目当ての観光客も当然多く、バスはすぐに一杯になった。

大内宿入口
バスは宿場町に平行する車道の所にバス停があるためそこで降り、そこから宿場町に横から入れるが、一度戻って入口から入ることにした。

三澤屋
とにかく腹が減ってはなんとやらなので、大内宿名物の蕎麦を食べに三澤屋へと向かったが昼時だったこともあって1時間待ちだった。番号札を渡されて1時間後あたりにまた来てくださいと言われたので、50分ほど散策することにした。


雪像
宿場町は雪灯籠が並べられてまさに冬の装いだったが、所々に手作りの雪像やカマクラ等があって記念撮影で盛り上がっていた。この画像なんかも人が居なくなった一瞬をついて撮ったもの。


観音堂の階段
宿場町の家々では様々なものを販売しており、美味そうな食い物に心を惹かれたが昼飯前なので我慢した。そして、町を一望できる高台まで登ろうとしたら、画像の通り以前登った観音堂の階段は閉鎖されていた。左の方に迂回路があるのだが、こちらはこちらで急ではないにも関わらず、溶けた雪と圧雪で滑りやすくなっており大変だった。


高台からの眺め
大内宿はやはり観音堂のある高台からの眺めが格別で、ここから見ると宿場町と人の流れが良く見えて面白い。江戸時代はここが江戸から会津若松に向かう今でいう国道みたいなものだったのだから、人や馬や荷車などで賑わっていたと思うが、人だけならたぶん現代の方が賑わっているような気もする。


イベント会場
三澤屋で蕎麦を食べた後は、宿場町中心にあるイベント会場でよさこい等のイベントを見たりして楽しんだが、無料で振舞われていた肉汁が美味しかったのが印象に残った。


団子の木
イベント会場の木には正月によく見るアレが飾られていた。地元でも正月に飾られており、後から揚げ餅にして食べたりしていたが、よく考えてみたら正式名称を知らなかった。餅花だとか繭玉だとか地域によって呼び方が違うようだが、大内宿では「団子の木」と言うようだ。


高倉神社
食ったり遊んだりしているうちに日も暮れてきたので最後に町はずれの高倉神社にお参りしてから帰ることにした。ここは高倉宮こと以仁王を祀った神社で、平家討伐計画が漏れて宇治で敗れた高倉宮は東国に落ち延びてこの地にしばらく滞在した伝説が元になっている。なお、町はずれにあるにも関わらず、観光客がそこそここちらにも来ており意外だった。

夜には灯篭に明かりが灯ったり花火が打ち上げられたりするそうだったが、この日はこの後に若松の「絵ろうそく祭り」を見に行く予定だったため、残念ながら見るのは諦めた。次に来る時は湯野上温泉にでも泊まって夜までじっくり見たいものである。

2018年1月31日水曜日

東日本行き当たりばったり新年初旅行:松本城(長野県松本市)

2018年1月8日訪城。

夜の長野から松本へ移動して一泊し、旅の最終日は松本城へと向かった。松本市街は雪も無く散策し易かったが、それでも天候が微妙なこともあって寒かった。松本城はなんだかんだ言ってけっこうな回数訪れているので、今回は少し今まで見ていない所を周ることにした。

黒門
松本城はやはり多くの観光客で賑わっていたが、本丸の入城ゲートとなる黒門は通れるものの何やら修理中のようだった。オフシーズンなので天守閣が混むことは無さそうだったが、今回は天守閣はパス。


トレンチ跡
二の丸の南西部に行くと何やらフェンスで囲まれた部分があったが、どうやらトレンチ調査をした部分らしい。今は無くなってしまった土塁を調べる為だったようだが、どうも松本城に学校が建てられていた頃の遺構が出てきたらしい。


通れない橋
そういや、松本城は昔は埋門にも本丸入城口があったが、現在は埋門は閉鎖されており、橋もごらんのとおり封鎖されている。元々、松本地震の被害が閉鎖の原因だったが、黒門の一か所に入口を限定したらメリットが大きかったため、現状こっちの入口の復活は無くなったようだ。


埋橋と天守閣
まぁ、橋が封鎖されているお陰で、お馴染みの橋を入れた構図で人が入らないように撮る苦労をする必要が無くなったが、一方で記念写真には難しい場所になったとも言える。


三の丸跡西側駐車場
二の丸跡西側からさらに西に出た砂利の駐車場は三の丸跡になるが、画像の真ん中より左側は惣堀の跡でもある。この場所だと堀と三の丸の境界が判りづらいが、画像とは反対の南側を見ると境界はよくわかった。


三の丸跡惣堀との境界
三の丸と惣堀との境界がちょうど水路になって残っており、こちら側はよく見ると画像右側の惣堀跡が低くなっているので分かりやすい。


三の丸西不明門馬出跡の説明板
今まで気づかなかったが、三の丸の馬出跡にもちゃんと説明板が設置されていた。画像は前述の砂利の駐車場の西側にあった西不明門馬出の説明板。


三の丸西不明門馬出跡
正直なところ馬出跡は遺構が残っておらず、画像の説明板のある辺りの馬出の外側の堀跡の地形が凹んでいるのが辛うじて判るくらい。


三の丸北不明門馬出跡
同様に三の丸跡北西部の北不明門馬出跡にも行ってみたが、こちらは馬出の外側の堀に向かって傾斜しているのが判る程度。


三の丸北門馬出跡
三の丸跡北東部の北門馬出跡は惣堀の一部が残っていることもあって、門と馬出の間の土橋の跡がよく判る。全体的に惣堀跡北側は地形が凹んでいるので非常に分かりやすい。


三の丸惣堀
三の丸は東側の惣堀だけが現存している。画像の右奥の庁舎の手前に石垣があるが、遠目でそこにも説明板が見えたので行ってみたが、庁舎の駐車場の奥にあるためまず見る人が居無さそうな隠れ説明板であった。


惣堀の石垣修理の説明板
説明板は石垣の修理に伴う調査記録が載っており、逆茂木のような杭が埋まっていたことと、土塁の法面が判明したのでアスファルトの地面に色を付けて示したことなどが書かれていた。


三の丸土塁跡
ちなみに庁舎の南側には三の丸土塁の跡が残っており、庭園の築山に再利用されている。画像は土塁の外側から見た光景だが、内側の方は庭園になっている。

惣堀跡を時計回りに散策している最中に雨が降り始めてしまったため、今回の旅はここでおしまいにして、後は昼飯を食べて我が家への帰途についた。

2018年1月27日土曜日

東日本行き当たりばったり新年初旅行:善光寺(長野県長野市)

2018年1月7日参拝。

飯山で昼飯後に長野市へと移動したが、太陽は既に山に隠れてしまい、真っ暗になるのも時間の問題だったため、当初行きたかった場所はキャンセルして善光寺へと向かった。

善光寺
善光寺に来るのは前々回の御開帳の時ぶりだろうか、御開帳に比べれば人は少ないが、日没後の寺院とは思えないくらいの人で境内は賑わっていた。


門前町
門前町もかなり賑わっていたが、帰る頃には既に閉店準備をしている店も多かった。そんな中で「おやき」を買って帰ったが、やはりこの時期は暖かい食べ物に限る。

2018年1月22日月曜日

東日本行き当たりばったり新年初旅行:飯山城(長野県飯山市)

2018年1月7日訪城。

久保田城の散策後、昼飯に稲庭うどんを食べてから羽越線を南下したが、山形県に入った頃には既に日が落ちてしまっていたため、結局どこにも立ち寄らず新潟市まで南下した。後から新発田あたりで泊っておくべきだったなと後悔したが、翌朝は長野県に入り飯山城に立ち寄った。

雪に埋もれる公衆トイレ
飯山市はそれまで立ち寄ってきたどこよりも雪が積もっており、住民の方も屋根の雪下ろしで忙しそうにしていたのが印象的だった。北飯山駅から飯山城へと向かったが、城跡の公園の公衆トイレが雪に埋まっていたのもなかなか印象的だった。


飯山城移築城門
飯山城に再移築された城門も雪囲いがしてあり、下の方は雪に埋もれていた。


城内
城内は1m以上の雪で埋まっており、本丸にある葵神社に向かう参道が辛うじて雪掻きした跡があるが、他はごらんのあり様で途方に暮れる。


本丸(葵神社)
とりあえず、本丸に登って葵神社に参拝するが、神社の足元には雪が無い為、今来た参道自体が既に嵩上げされた雪道だったことに恐怖する。


本丸枡形付近
せめて本丸桝形くらいは見ようとラッセルしてみるが、途中で我に帰って結局諦める。


妙専寺山門
飯山城は移築城門がいくつかあり、北飯山駅の裏の方の妙専寺の山門も移築城門と聞いて見に行ったが、付近に門について書かれた看板等は無く、本当にこの門で合っているかよく判らない。本当は長野市に移築された大手門も見に行きたかったが、現地に着くころには日は山に落ちているだろうから諦めた。

2018年1月21日日曜日

東日本行き当たりばったり新年初旅行:久保田城(秋田県秋田市)

2018年1月6日訪城。

秋田城周辺の散策後、再び市街地中心部に戻り、秋田藩の藩庁である久保田城にも立ち寄った。久保田城は何度か訪れているが冬に来たのは1回くらいしか記憶にないので、今回でたぶん2回目である。

秋田県立美術館
久保田城の外堀の前を移動していると明らかに記憶と一致しない空間があった。中土橋前はたしか普通にビルが建っていたはずであるが、いつのまにか広場と秋田県立美術館になっていた。まぁ、これはこれで窮屈な感じが無くて良い。


与次郎くん
久保田城の築城伝説でおなじみの与次郎狐をモデルにしたキャラがこのあたりの町内のマスコットになっているようで、中土橋前の絶好の位置になんか銅像が建てられていた。


外堀
久保田城の幅の広い外堀も氷を張っていたが、そんなに寒くないため氷は薄い。秋田は豪雪のイメージがあるが、この日の秋田市内は雪があまり積もっていなかった。


中土橋前
城内から中土橋前を展望してみると、やはりなんかスッキリした風景になっていた。

二の丸
中土橋から三の丸を通って二の丸へ登るが、二の丸は一面の雪景色だったものの明らかに雪が少ない。これは気軽に雪だるまも作れないが、除雪したわけではなさそうだ。


御物頭御番所
本丸表門前にある城内唯一の現存建造物の御番所もすっかり雪囲いしており、ぱっと見何の建物か判らなくなっているのが面白い。


長坂門跡と本丸表門
本丸表門は落雪の危険性から冬季通行止めだが、明らかに屋根に雪が無いのが可笑しい。表門は通れないが、手前の長坂門跡から迂回路があり、ちょうど画像の左画面外に道がある。


本丸
本丸内部も靴が沈む程度の積雪しかないため、散策には困らなかったが、奥の模擬櫓の展望台は冬季は閉鎖されているため、散歩中の地元の方と神社に用事がある人にしか城内では出会わなかった。久保田城は別に藪に覆われているわけでもないので、県外の人間が冬季にあえて訪れる理由はあまり無さそうだということを再認識した。

2018年1月18日木曜日

東日本行き当たりばったり新年初旅行:勅使館(秋田県秋田市)

2018年1月6日訪城。

秋田城の散策後、以前藪で諦めていた秋田城の近くの勅使館跡へも立ち寄った。勅使館は都からの勅使をもてなした館とされていてこの呼び名が付いたが、実際に調査が行われてからは中世に築かれた城館という見方が強くなっている。秋田城本体は中世にはほぼ使用されていないため、文献に出てくる中世の秋田城はここの場所のことではないかとする説があるが、現状はまだ謎の城館である。

勅使館への入口
以前来た時は場所があやふやで藪しか見えなかったので諦めたが、秋田城跡資料館に勅使館の展示もあったため、それに照らし合わせて訪れてみることにした。寺内コミュニティセンター脇の坂に「勅使館入口」の標柱があるが、実際の入口は坂を登ってもっと進んだ先で、画像の緑の「史跡」標柱が立っている場所になる。


横堀
勅使館の中心部に登る直前に横堀を横切るが、この横堀は主郭の周囲に半月状に展開している。丘陵の斜面に横堀というのは古代城柵では見たことが無いので、やはり中世に造られた城跡だというのが良くわかる。


登り土塁
主郭から北側の低地に向かって登り土塁が設けられていたが、どうゆう用途があったのかよくわからない。


主郭
丘の頂上の主郭はそこそこ広く、周囲半分が2~4mの高さの土塁で囲まれていたのだが、秋田城がある方向の北東部分だけが土塁が無い為、これはこれで秋田城の出城のようにも見えるので判断に困る。北東部分の下段は畑のようになっているため、開墾で北東部分が削り取られたとも考えられるし、何にせよ更なる調査と解明が待たれる。