2018年1月15日月曜日

東日本行き当たりばったり新年初旅行:秋田城(秋田県秋田市)

2018年1月6日訪城。

5日のうちに山形県から奥羽本線ルートで秋田県入りし、6日は朝から秋田市の秋田城へと向かった。秋田城は久しぶりに訪れるが、今回は新しくできたという歴史資料館が目当てで訪れた。

秋田城跡歴史資料館
歴史資料館前バス停から階段を登った先の丘の上に真新しい秋田城の歴史資料館があり、内部はもちろん秋田城のあった時代背景の歴史から発掘調査で見つかった物、それらから判った事など、色々展示されていて勉強になった。


外郭築地塀跡
資料館から出た後は外郭西側の築地塀跡を見に行ったが、これが思いのほかよく残っており、外郭の輪郭がちゃんと判るのには驚いた。というのも、今まで外郭は東門付近しか見ておらず、他は遺構は残っていないと思い込んでいたからである。ちなみに画像右奥の丘の上に外郭西門の跡があることが判明したらしいが、遠目ではまだ整備されていないようなのでそこまでは行っていない。


消失した丘
画像の手前が資料館のある丘で、奥は政庁がある丘になるが、本来はこの丘の間は陸続きになっており、車道を通した際に谷間状に削り取られてしまったようである。しかも運の悪いことに、これによって内郭の南西部分も地盤ごと消滅してしまい永遠の闇に消えてしまった。


歴史資料館前バス停から政庁跡へ登るルート
なお、歴史資料館前バス停付近から直接政庁のある場所に登る道が新しく出来ており、これのお陰で散策がし易くなっていたのは良かった。以前来た時はこの辺りには住宅があった記憶があるので、市が買い取って整備したのだろうか。


政庁跡
内郭の政庁跡は雪に埋もれているものの、以前同様に平面復元の柱が見える為、特に昔来た時と変わったような感じは無かった。


内郭東門
内郭に唯一立体復元されている東門と築地塀も以前同様に変わりはなかったが、雪囲いの保護が付けられているのが印象的だった。


外郭東門
内郭東門から外に出て真っ直ぐ進むと外郭東門にたどり着くが、何気にこの真っ直ぐ大路で内郭の門から外郭の門まで繋がっているのが古代城柵という感じで良い。ただ、資料館の発掘情報によれば真っ直ぐ繋がっているのは東門だけで、南門は大路が斜めに傾いており、西門に至っては大路は鍵の時に折れ曲がっている。北に関しては門があったのかどうかすらまだ判っていない。


外郭南門跡
外郭西門跡は先に述べた通り現地まで行くのはパスしたが、外郭南門跡はマップによれば車道から確認出来る位置にあった為、一応確認しに向かった。画像がその外郭南門跡で、住宅地の中の畑?と思われる場所に位置している。ぱっと見では本当に門跡があったのか判らないが、発掘調査をやっているので地中に痕跡はあるのだろう。

2018年1月14日日曜日

東日本行き当たりばったり新年初旅行:山形城(山形県山形市)

2018年1月5日訪城。

仙台城の散策後、仙山線に乗って奥羽山脈を越えて山形へと移動したが、やはり山脈を境にして雪の量が全然違っており、山形は仙台の何倍も雪があった。山形駅に到着した頃にはすっかり日が沈んでしまっていたが、山形城なら灯りがあるから平気だろうと思い立ち寄ることにした。

二の丸東大手門
冬でも山形城は人の出入りが多いため、人が歩いて踏み固められた道を進むが、やはり雪があると移動に1.5倍ほど疲れる。二の丸東大手門はいつも通りライトアップされていたが、屋根の瓦が雪に覆われていて何だかいつもよりも白い。


最上義光像
最上義光像も微妙に雪をかぶっていたが、これはこれで雪原を駆けているようで面白い。


本丸一文字門
本丸一文字門を見ると高麗門が開いていたので、まだ入れるのか?と思ったが、橋の手前のゲートが閉門していて中には入れないようになっていた。高麗門に扉は付いているが、どうやら基本的に開けっ放しのようだ。

発掘現場の方は冬の夜に行っても意味が無いので、ライトアップを見た後は南大手門から出て駅に戻った。なお、山形城には南大手門から出入りする方が雪が少なくて移動し易かったと思う。

2018年1月13日土曜日

東日本行き当たりばったり新年初旅行:仙台城(宮城県仙台市)

2018年1月5日訪城。

午前中に白石城を周って昼食には白石温麺を食べ、その後は東北本線を仙台まで北上し、仙台地下鉄の東西線で仙台城へと向かった。やはり渋滞や信号に止められるバスと違って、城の麓までなら地下鉄のほうが早いので、昔仙台に住んでいた頃より便利になったとつくづく思う。

大手門隅櫓
国際センター駅から出て南に行くとすぐに大手門跡が見えるが、前回来た時に画面右側の土塀でやっていた工事は終わったようだが、さらに右側画面外の二の丸法面ではまだ何か修復をしているのか一部にブルーシートが掛けられていた。


川内追廻
三の丸から堀を挟んで外側にある川内追廻地区は以前よりもさらに更地になっていたが、看板によれば公園として整備工事中らしい。ここは江戸時代には先に寄った白石城の片倉家の武家屋敷などがあった場所で、発掘調査も何度かやったようだが、公園計画を見る限りでは発掘遺構の上に盛り土をして保護した上でセンター施設を建てるようである。


五色沼
三の丸外堀の五色沼でも何やら修繕工事中の看板が建っており、重機の足場を確保するためか沼の半分ほどが埋め立てられていた。


雪化粧の本丸石垣
三の丸から清水門ルートで本丸へと登るが、雪の無かった白石と違って仙台ではそこそこ雪が積もったりアイスバーンになっていたりしたので、普段より登るのに余計疲れた感じがした。ただ、城の雪化粧を見るのも目的だったので、画像のような光景が見れたのは幸いだった。


修復された忠魂碑の像
本丸は正月松の内のため神社を訪れる仙台市民で賑わっていたが、政宗像付近には観光客らしき姿もチラホラ見かけた。以前来た時は震災で大破したままの状態だった忠魂碑の鳥の像だが、どうやら修復されたようで台座の足元に飾られていた。ここにあるということは危険だから台座の上には戻さないということなのだろう。

2018年1月12日金曜日

東日本行き当たりばったり新年初旅行:白石城(宮城県白石市)

2018年1月5日訪城。

前日に水戸城の復元工事現場を散策した後、水郡線ルートで福島県へと入ったが、棚倉付近に着いた頃には既に真っ暗になっていたため、最近多門櫓跡の礎石が確認された棚倉城へ立ち寄る計画は断念。冬場は16時には既に真っ暗になってしまうため、移動しながらの旅には辛いことを思い知らされた。

結局、福島に一泊し、翌朝は宮城県へ入って白石城へと向かった。両手で数えるくらい訪れている白石城ではあるが、今回は城に植えられた桜が開花している情報を聞いたので立ち寄った。

白石城大櫓
福島方面では雪がそこそこ積もっていたのだが、峠を越えて宮城県側に入った途端に雪は無くなり、画像のように日陰になった部分に残るのみだった。


本丸大手門の門松
本丸の大手門前には門松があり、正月松の内ならではの風景が見られるのも面白い。


神明社の門松
ちなみに城内にある神明社にも門松が飾られていた。せっかくなのでお参りもしてきたが、何やら正月関係なのか忙しそうに人が出入りしていた。


十月桜
肝心の今回の目当ての桜についてだが、本丸の中央大手門寄り辺りに一本だけ若い木が植えられており、十月桜という冬に咲く品種とのことだった。この桜は梅のように花が小さく、咲いている花は疎らで、蕾と散った花も混在していてかなり写真泣かせの桜だった。結構沢山撮ったが結局満足のいくものは撮れなかった。


本丸の新しいトイレ
十月桜とは別に今回驚いたのは本丸に新しいトイレが出来ていたことで、よく城址にあるような和風家屋デザインのトイレじゃないことが意外だった。


本丸の2つの時代の石垣
他に今回目に付いたのは本丸の石垣の説明板が出来ていたことで、画像の箇所の石垣が右側と左側で違うことの説明が書かれていた。見ての通り、左が打ち込み接ぎ、右が切り込み接ぎで、元はどっちも打ち込み接ぎだったが、江戸時代に石垣が崩れた後に修復された箇所が切り込み接ぎになった。なお、説明板には左が野面積みと書かれていたが、外側を平面に加工した石を使っている為、これは打ち込み接ぎだろう。

2018年1月10日水曜日

東日本行き当たりばったり新年初旅行:水戸城(茨城県水戸市)

2018年1月4日訪城。

1/3に正月帰省先から戻った足でそのまま目黒不動尊に初詣で出かけ、翌朝の1/4は東日本の範囲で行き当たりばったりの2018年初遠征を実施した。

まずは神奈川県から茨城県へと移動して水戸に立ち寄った。水戸では今ちょうど水戸城の復元工事が始まっているはずなのでその現場の見学のためである。


道は車両通行止め
大手門があった場所は今は車道になっているので、「絶対復元は無理だろうな」と昔は思っていた。なので最初に復元事業が始まったという知らせを聞いた時は耳を疑ったもので、実際に現地を訪れて車両通行止めを見て「ああ本当なんだ」とやっと実感できた。


歩行者用迂回路
車両は通行止めだが、歩行者は土塁の上を移動する迂回路を通れるようになっていた。まぁ、よく考えてみるとこの先には学校しか無い為、一番の利用者である学生が通れれば問題ないわけだ。大手前の車道が仮設駐輪場になっていたのもその為だろう。


二の丸の土塁の上
何気に迂回路のお陰で二の丸土塁の上を初めて見ることが出来た。明治の写真を見た限りでは下半分が板張りの土塀がこの土塁の上に建っていたようだ。ちなみに門と土塁の間の隙間は発掘調査の結果、瓦土塀だったことが判っている。


大手門跡
迂回路からは大手門跡も見ることが出来たが、現状はまだ発掘した層を埋め戻した後の状態だった。奥に見える土塁は土砂災害防止法の6条関連の護岸が施されているようだが、復元図を見る限りではこの上を土と草で覆って護岸が見えないようにするようだ。


復元予想図と古写真
大手橋の前に大手門の復元図と古写真があるが、古写真の方はよく見ると門の下の方が橋で隠れているので、当時の大手橋は今と違ってアーチ状だったことが良くわかる。ちなみに門が完成するのは平成31年9月9日なのでまだ1年半以上先の話であるが、ちょうど新しい年号に変わるので節目のイベントになるかもしれない。

2017年12月18日月曜日

11月の3連休旅行:津川城(新潟県阿賀町)

2017年11月5日訪城。

3連休の中日はずっと雨だったため、結局温泉宿で一日中ゴロゴロすることになった。翌日の連休最終日は前日と打って変わって晴れたので、以前から行きたかった越後会津街道の要衝の津川城へと向かった。

津川城は阿賀野川と常浪川の合流地点に聳える天嶮の麒麟山に築かれた城で、鎌倉時代に会津に下向した佐原氏の一族の藤倉義盛の孫の金上盛弘によって築かれた。この津川(金上)の地は会津と越後の境界に位置しており、水運と陸運の要衝であった為に重要視され、会津の大名蘆名氏の重臣である金上氏が代々治めた。蘆名氏滅亡後も会津藩の代官所が置かれ、街道を行き来する人や物資で大いに賑わったという。


麒麟山
津川の街の川を挟んだ対岸に麒麟山が聳えており、岩肌の見える岩塊の山であるためかなりインパクトがある。なお、城があるのは画面左端の山の中腹末端部で、岩山の頂上にあるわけではない(頂上も物見台や狼煙台に使われたとは思うが)。山の麓の針葉樹が茂っている一帯が侍屋敷跡で、麓の外郭にあたる。


搦手口門跡
侍屋敷跡にも土塁や門跡が残っており、侍屋敷跡の城山橋側(駐車場側)は搦手口だったようで門跡等の標柱が建っていた。画像の右側の土塁の向こう側には鶴ヶ沼がある。


鶴ヶ沼
恐らく侍屋敷に住んだ家臣達の水源だったと思われるのが山の麓にある鶴ヶ沼で、そこそこ深い窪地になっているため人工的に掘ったものと思われる。


侍屋敷跡の中門の土塁の断面
侍屋敷跡と侍屋敷跡の間を土塁で仕切っている箇所があり、土塁の側面を見てみると小さい石を積んで築いている石積みだというのが判る。


二の丸
侍屋敷跡一帯を抜けるといよいよ急斜面を九十九折りに登る山道となり、登り切った先に急に広い曲輪が現れるが、ここが二の丸跡で、麓のマップや一部資料では馬場跡とも記載されている。馬場は通常は馬や弓の訓練場であるが、馬をこの山の上まで連れてくるのはどう考えても大変なので、武具蔵や的場などがあったと考えるべきか。


出丸の石垣
二の丸から出丸に向かう途中に道を折り曲げた門跡があるが、そこから出丸の斜面を見ると、出丸が石垣で築かれているのが良く見えた。戦国時代に蘆名氏は石垣の城を各地に築いているので、恐らくその時期にこの出丸が整備されたのだろう。


本丸
出丸から一段登った先が本丸で、二の丸よりは狭いが建物を建てる分の広さは一応あるため、ここが籠城時の屋敷跡だろうか。右に見えるのは土塁ではなく本丸より一段高い郭で、今は展望台がある。


展望台
展望台からは眼下の雄大な阿賀野川と越後会津境界の山々が見え、なかなか見事な絶景だった。現在でこそ橋が架けられて車道や鉄道で人や物が行き交っているが、当時はこの眼下を多くの川船が行き来していたのだろうと思うと滾るものがある。


紅葉
山の麓は針葉樹しかないが、上まで登ると広葉樹が多くなり、ちょうど紅葉していて綺麗だった。街から見た山も紅葉していて綺麗だったが、こうやって登って見る紅葉の方がより綺麗に感じる。


堀切
展望台のある山の末端の郭の背後には堀切が設けてあり、岩を削って造ったことが断面から判る。ここから山の北側に降りる道もあるため、当時も通路として使用されていたのだろうか。


金上稲荷神社
堀切を挟んで山頂側の郭には金上稲荷神社が祀られており、城の守護神として祀られていたが廃城後に荒廃し、後に有志が復興したものがこの社であるという。


麒麟山の山頂へ続く崖道
金上稲荷神社からさらに山頂方面へと続く道があるが、この先は危険の注意書きがある。麓のマップに神社より先の道が描かれていないので、町の勧める散策ルートとしては神社までということなのだろう。一応、確認のため先に進んでみたが、途中から画像のように岩山を手で掴みながら登る道になった為に引き返した。


お城清水
最後に出丸のとこから下に向かう道を下って水の手曲輪に立ち寄ったが、今もお城清水は湧いていて健在だった。この曲輪の近くにも出丸のように石垣が使用されているそうだが、ちょっと場所が特定出来なかった。

2017年12月9日土曜日

11月の3連休旅行:弥彦山(新潟県弥彦村)

2017年11月3日訪問。

弥彦神社に参拝した後は弥彦山に登るため、弥彦山ロープウェーに向かった。最初は登山道を使うことも考えたが、時間と体力の温存のため今回はロープウェーを利用した。ただ、この選択は"時間"という意味では失敗だったかもしれない。

弥彦神社裏の道
神社から案内板に従ってロープウェーの駅を目指すが、道は砂利道だし、風景はどうみても鎮守の森の中で、本当にこの先にロープウェーの駅があるのか不安になるほどだった。


弥彦山ロープウェー山麓駅
神社から15分ほど歩いて駅に到着したが、後から無料のシャトルバスもあったことに気付く。ただ、バスを使う使わないは些細な事で、この駅に到着してからが問題だった。駅には既に長蛇の列が出来ており、結局ゴンドラに乗るまで1時間以上かかった。特に祝日だったのが災いしたのかもしれないが、半分は外国人だったので平日でも混雑してそうだ。


ゴンドラの中から見た景色
ゴンドラは満員のため一方向しか写真に撮ることは出来なかったが、徐々に眼前に新潟平野が広がっていくのと、真横に紅葉の山腹が見える景色はなかなか素晴らしかった。


山頂駅から見た日本海
山頂駅に着いた後、駅を出ると今度は眼前に日本海が広がり、遠くに薄っすらと佐渡島が見えた。なお、ロープウェーの山頂駅は弥彦山の山頂ではなく、山頂よりも北にある小ピークのさらに鞍部にある。


弥彦山の頂(弥彦神社奥の院)
駅からレストハウスを越えて南に縦走し、テレビ塔のある小ピークを越えて更に進んだ先に弥彦山の頂があり、頂上は大勢の観光客で一杯だった。山頂には弥彦神社の奥の院があり、ここには祠があったが、祠の背後の草に覆われた空間に何があるのかはよく分からなかった。山そのものが御神体なので案外何も無いかもしれないが。


山頂から見た景色
山頂はほぼ全周囲が絶景で、海も平野も山も眼下に紅葉も見える欲張りセットな絶景だった。大抵は山に登ると平野の向こうに海が見える為、海→山→平野というのは新鮮だった。


夕焼けとパノラマタワー
弥彦山の頂からレストハウスまで戻り、夕方に昼飯を食べるという時間計算のミスに後悔しながら休憩した後、下山の為にロープウェー乗り場に向かった。結局、下山でも1時間以上並ぶ羽目になり、日本海に沈む夕焼けとパノラマタワーの展望台が上下するのをずっと見物する状況になった。往復でチケットを買ってしまった為、しょうがないといえばしょうがないのだが、明らかに登山道を降りた方が早かっただろう。


山腹の紅葉
ロープウェーの下りではちょうど山肌が見える位置に乗れたが、実はこの時点で既に暗くなっており、肉眼だと紅葉がほとんど見えなかった。画像では明るく見えているが、カメラの性能のお陰である。