2017年6月18日日曜日

羽黒山【出羽神社】(山形県鶴岡市)

2017年5月1日訪問。

蝦夷館で八重桜を見た後は、そのまま羽黒街道を進み羽黒山へと向かった。

手向の門前町
蝦夷館から少し進むとそこは門前町の手向(とうげ)で、今も小さな寺社仏閣が街道脇に点在し、○○坊と書かれた宿坊がいくつもあるのがなんとも門前町らしい光景だった。なお、門前町を進んだ先の、羽黒山参道の随身門前にある食事処でまずは軽く昼飯を食べてから山へと向かった。


随神門
この随神門を潜ると羽黒山に登る道がスタートするが、最初は門前町のある台地から谷底に降る道となる。


須賀の滝
谷底に降りて川に架かる橋を渡ると、右手になかなか立派な滝が見えた。昔は山に登る際にこの滝で身を清めたという。


五重塔
滝を過ぎてすぐに観光情報誌の羽黒山の項目で必ず目にする写真と同じ光景が見えてきたが、実際に自分の目で見てもかなり高い五重塔だった。杉の巨木が覆い茂る中になぜかひっそりとあるので、なかなか非日常的な雰囲気であった。


参道
五重塔を過ぎると一気に参道は登り道となり、この先はヒーヒー言いながら只管登った。


二の坂茶屋
参道の途中に「二の坂茶屋」があったが、ここから既に遠くに庄内平野が見えるほど眺めが良かった。ここの近くには車道は通っていないため、この茶屋は全て人力で建てられたのだろうか?


御本坊跡
急な登りが一息ついた参道の脇にかつて何かがあったであろう広い空間が現れた。後から調べてみた所、御本坊の跡だと分かった。画像はその中にあった心字池の跡で今は水が無かった。


南谷へ向かう枝道
参道の途中で「南谷」へ道が分岐していたため、この枝道の方へと向かった。ただ、この道がかなりの曲者で、湧水で道が泥道と化しており、飛び石が置いてある場所は良かったものの、石のない場所ではかなり苦労した。


南谷
苦労して進んだ先に急に広い空間が現れたが、ここがかつて松尾芭蕉も宿泊したという南谷だという。今は東屋1つがある程度だが、かつて宿坊のような大きな建物があったであろうことがよくわかる広さだった。現在は池がよく残っており、なかなか絵になる風景でもあった。


カスミザクラ
南谷に苦労してでも来たかった理由にカスミザクラが見たかったというのもあったが、残念ながら咲いている桜は拝めなかった。地面に花びらが落ちていたので散ってしまったのだろう。


南谷から旧参道に続く山道
南谷からはそのまま奥に続く山道を進んだが、結論から言うとこの道はお勧めできない。パンフレットに載っていない道の時点で察するべきだったが、道の先が旧参道に続いているのであの泥道を戻るよりもこちらの方が近いと判断してしまった。幸いこの山道は泥道では無かったものの、倒木に次ぐ倒木で道が塞がれ、道の脇は斜面で迂回できないという厄介極まりない道であった。


旧参道
倒木の酷い道を抜けると宿坊跡の広場に出て、その先でやっと石畳の旧参道に合流できた。旧参道の隣には車道も通っているため、やっと人の気配を感じることが出来てホッとした。


積雪
旧参道をしばらく登ってついに神社のある頂に辿り着いたが、ここには5月だというのに雪が残っていた。


屋根の修繕中
山を登り切り、いつか来たいと思っていた出羽神社の総本社であるこの場所にやってこれたが、社殿はちょうど屋根の修繕中になっていた。


出羽神社
神社の本殿は思っていたよりも巨大で、最初見た時は目の錯覚かと思ったほどだった。なお、ここには羽黒山以外にも月山と湯殿山も祀られているため、お守り等に記載される名称は出羽三山神社になっていた。

2017年6月10日土曜日

2017年度のお花見:蝦夷館 (山形県鶴岡市)

2017年5月1日訪城。

GW期間に入ってからまず向かった先は山形県の鶴岡市で、この場所には鶴岡城と尾浦城の桜の名所があるが、どちらもソメイヨシノがメインのため、この時期は既に散ってしまっている。

しかし、5月からでも満開の桜が見れる場所が鶴岡市の郊外にあると知り、今回はそこへと向かった。目的地は信仰の山である羽黒山へ続く羽黒街道の途中にある大鳥居を潜ってしばらく進んだ場所で、今は「蝦夷館公園」と呼ばれる蝦夷(エミシ)の城跡である。


副郭の八重桜
蝦夷館公園はとにかく八重桜だらけの公園で、いくつかの品種の八重桜が満開の花を咲かせて綺麗だった。画像は副郭の八重桜で、手前の桜は恐らく八重桜でメジャーな関山桜。奥のやや白い品種は判断に悩むが一葉桜だろうか。


主郭の八重桜
主郭の北側には黄緑の花を咲かせる鬱金桜も咲いており、八重桜でこれだけカラフルな景色が見られる場所というのも珍しく、なかなかの花見の穴場であった。


主郭上段
蝦夷館は丘の上に瓢箪型の主郭があり、主郭の中腹に横堀が巡っているのが特徴で、その南側の一段低い場所に副郭があるといった構造になっている。画像は主郭の中の標高が高い方で、公園化で石垣や石畳で覆われており、なんだか石畳の町のテラスのような光景になっている。


主郭下段
主郭の標高が低い方には小さな神社があるが、何を祀っているのかは不明。鳥居の形的には神明社だろうか。


横堀
主郭の中腹には横堀があって360度ぐるりと巡っているが、東側の一部は歩道で埋められている。南東部の一部に水が溜まっているが、北部の堀は低くなっているなど高低差があるため水堀ではない。

2017年度のお花見:沢辺館 (宮城県栗原市)

2017年4月24日訪城。

栗駒の旧駅前には今も食堂があって営業していたため、岩ヶ崎城から下山後はそこで少し早い昼食を食べた。自分が食べたのはうどんだったが、地元の方々が頼んでいたチャーシュー麺が美味そうだったため少し後悔。

腹ごしらえ後は栗駒から東の沢辺へと移動した。かつて奥州街道の沢辺宿があった街で、宿場町以前は沢辺館(臥牛館)の城下町であった。街から川に架かる橋を渡った先の丘陵が城跡で、現在は臥牛館公園となっている。ここは中世には葛西氏家臣の沢辺氏(二階堂氏)の居城で、近世には伊達氏家臣の小野寺氏の居城だった場所である。

臥牛館公園の桜
実は桜の時期にここに来るのは2度目で、遠くから見ると丘は桜色に覆われて綺麗で、園内に入ってからも見上げるとほぼ満開の桜で綺麗だった。


二の郭跡
城跡で比較的広い郭が二の郭で、画像奥に見える凸は土塁ではなく経塚。公園ではあるのだが、意外にも腰を降ろして休める場所が無い。写真ではわざとフレーム入らないようにしているが、ここには給水用の施設がある。


主郭跡(鳥居の先の階段の上)
鳥居の先の階段を登った場所が主郭の跡で広さは無く狭い。現在は祠が2つほど祀られており、八幡と古峰の祠だというが正しいのかは見た目で判断つかない。主郭と三の郭は針葉樹の雑木林と藪に覆われているため、二の郭と違って花見が出来るような場所では無かった。


かつて二重堀切があった場所
城跡の背後はそのまま丘陵地帯に続いているが、かつては二重の堀切で台地と切り離していたという。学校造成時に堀を埋めて丘を削ってグランドを作ったため、現在は面影が残っていない。その後、学校は無くなったため、今はよくわからない空き地(畑?)のような場所になっている。


くりこま田園鉄道の沢辺駅跡
おまけ。画像は沢辺の街中の旧沢辺駅付近。駅舎は無いがホームが残り、レールもまだ残されていた。前回、沢辺館に来たときはこの駅で乗り降りしたため、何気に思い出の場所でもある。

2017年6月7日水曜日

2017年度のお花見:岩ヶ崎城 (宮城県栗原市)

2017年4月24日訪城。

一関の旅の最終日は、一関から南下して宮城県の栗原市に入り、栗駒へと向かった。前回、栗駒を訪れたのは「くりはら田園鉄道」のラストランの時だったので、10年ぶりになるだろうか。

栗駒に来た目的は街の背後の館山の上にある岩ヶ崎城(鶴丸館)で、中世には富沢氏の居城、近世には伊達政宗の息子の宗綱や宗信が一時居城とし、後に家臣の石母田氏の居城となった山城である。


岩ヶ崎城の山桜
栗駒の町から堀切跡を通って館山の背後の中腹まで車道が通っており、このルートから主郭跡まで最短で登れる。主郭から南側に階段状に腰曲輪が連なっており、そこに咲く山桜が満開で綺麗だった。


主郭
なんとなく一番広い主郭に桜があるイメージだったが、どうやら記憶違いだったようで岩ヶ崎城の主郭そのものには桜は咲いていなかった。写真では黄色い躑躅のような木が見えるが、正直これが何の木なのかよく分らなかった。


山の斜面
前回来たときは館山には木々が覆い茂っていたのだが、今回訪れたらかなり綺麗に伐採されており、これにはかなり驚かされた。


二の郭
中でも二の郭は以前は雑木林で、周囲が藪と化していたおかげで突入を断念した思い出があるだけにこの光景は衝撃的だった。所々に切り株が残っているようだが、現在は桜の苗木が植えられており、桜の公園として整備するつもりのようだ。なお、手前に見えるブロックは山の上に立て看板を立てるのに使われた台座のようだ。


三の郭から見た二の郭斜面
離れた場所からの写真なので分かりづらいが、ここには人為的な竪堀を数本並べた特徴的な遺構があり、この周囲には様々な種類の桜が植えられていた。ただ、中央奥のソメイヨシノは天狗巣病に犯されているため、この場所では病気に強い種類の桜を植えないとこの先が大変だと思う。


頭上注意
三の郭から杉林の蛭子館跡を通りそこから下山したが、麓の鳥居の所に危険頭上注意の看板があった。何事かと思って見たところ、石と石の繋ぎ目がズレているのが目で確認できた。恐らく地震が原因でズレたのだろうか。

2017年6月3日土曜日

2017年度のお花見:一関城 (岩手県一関市)

2017年4月23日訪城。

達谷窟から一関市市街地に戻る頃にはもう太陽が山の地平線に沈みかけていたが、近世に田村氏に築かれた方の平地の一関城の跡に向かった。


庭園の心字池
いつの間にか城跡の南西の一角が整備されており、庭園の心字池が復元されていた。池の端の方は今は車道が上を通っているため完全な復元ではないが、平地の一関城には遺構がほとんど残って無かっただけに貴重な痕跡である。


土塁に咲く枝垂れ桃
整備された一帯の北側にわずかに土塁が残っており、そこには土塁の裏の民家の方が植えたのか枝垂れ桃(ハナモモ)の花が咲いており、なかなか綺麗だった。


一関城本丸絵図の中の整備されている付近抜粋
城の絵図は今セブンイレブンがある場所の隣にあるミニ太鼓櫓付近にあり、その中で今回の整備されている一帯を見てみると写真の部分になる。この図に見える池が復元されており、池の左隣一帯が今は駐車場で、右下に見える居館の跡は今は裁判所となっている。土塁のあった辺りは絵図の中では暈されていたため除外した。

2017年度のお花見:達谷窟 (岩手県平泉町)

2017年4月23日訪問。

厳美渓から平泉に向かう山間部を抜ける道の途中に達谷窟(たっこくのいわや)がある。伝説では悪事の高丸とも、悪路王とも呼ばれる盗賊(又は蝦夷の王)が居城としていた場所で、坂上田村麻呂がこれを討伐してからは御堂が建てられて後に現在の造りの毘沙門堂になったという。

枝垂桜
達谷窟の入口付近には枝垂桜が満開で咲いており、なかなかの見事な景色だった。ただ、ちょうど太陽が山影に入ってしまい、部分的に暗くなってしまった。達谷窟は西の岩山を背にしているため、ここを訪れるなら太陽が東に居るうちの午前中の方が良さそうだ。


御供所
枝垂桜の他にも味のある古い建物があり、画像は一見すると昔の豪農の家のようだが、寺院の御供所と呼ばれる建物だという。


毘沙門堂
境内に入って進むと、窟屋に半分隠れたような姿の毘沙門堂があった。「達谷窟」で調べると必ず出てくるここの象徴的な建物である。手前の階段から中に入って奥から出る形になっており、内部はよく寺院の本堂で見かけるような造りになっていた。


枝垂桜と毘沙門堂
ここの桜はいずれも枝垂桜で、境内にもいくつか咲いており、この桜と毘沙門堂を一緒に撮っている観光客が大勢居た。基本的に風景写真には人が映り込まないようにしているため、何気に撮るのが大変だった。


磨崖仏(岩面大仏)
岩山の方を見上げてみると磨崖仏があり、確かに大仏の顔が確認できるが、元々は体もちゃんとあったらしい。明治の頃の地震で崩れ、その後の風化で今のような姿になったのだという。

オッコウ
境内の薬師堂の裏、金堂の前あたりに樹齢500年のオッコウの木があった。オッコウで植物辞典で調べてもパッとしなかったのだが、イチイとかアララギと呼ばれている木の別名らしい?

姫待瀧の桜
達谷窟から川沿いに下って少し行った場所に姫待瀧があり、その付近の桜も満開で綺麗だった。


姫待瀧
姫待瀧は階段状になった小さな瀧で、かつて窟屋に捕まっていた姫が逃げ出したが、悪路王の部下がここで待ち伏せて姫を再び捕まえたことからこの名前が付いたという。

2017年5月28日日曜日

2017年度のお花見:厳美渓 (岩手県一関市)

2017年4月23日訪問。

薄衣城散策後は再び一関市内に戻り、今度は逆方向にある一関市の名勝の厳美渓へと向かった。なお、一関市には似た名前の名勝の猊鼻渓もあるため、一瞬どっちの名前だったかわからなくなる時がある。

温泉神社の桜
厳美渓のバス停からほど近い場所にある温泉神社の境内には立派な桜の木があり、ちょうど満開で綺麗だった。


厳美渓の貞山桜
厳美渓沿いにも桜が植えられており、いずれも満開で渓谷に花を添えていた。この桜は名前を見て気付く方も居ると思うが、伊達政宗(貞山公)が厳美渓に来た時に植えるのを指示した桜だという。


厳美渓の川幅が狭いとこ
まさに渓谷という景色が眼前に広がり、岩場の上から写真を撮るときも少し足が震えるほど緊張した。

厳美渓の川幅が広くなるとこ
少し下流に行くと流路は広くなり、吊り橋より下流はかなりゆるやかな流れになっていた。画像は吊り橋の上から撮ったものだが、この吊り橋は人がひっきりなしに通るため、ぐらぐら揺れて写真を撮るのも大変だった。


空飛ぶ団子
厳美渓名物の空飛ぶだんご。ざるにお金を入れて対岸に送ると団子が送られてくる仕組みだが、この時は凄い行列が出来ていたため利用できなかった。替わりに別の団子屋で滝見団子を食べたがなかなか美味しかった。