2018年4月24日火曜日

2018年の花見旅:犬山城(愛知県犬山市)

2018年4月1日訪城

静岡県から愛知県に移動して一泊した後、この旅の一番の目的地である犬山城へと移動した。犬山に来たのは桜がちょうど満開だろうというのもあるが、旅番組で犬山の城下町を特集していたことに触発されたことと、落雷で大破した城の鯱が新しくなったのを見るためでもあった。

三の丸跡から天守を望む
城下町を通って三の丸跡から城の中心を目指して移動するが、やはり城下から天守閣が見える光景は城下町らしくて実に良い。


中門跡付近
三の丸と城下町は平地(正確には台地)にあるが、平地から天守の聳える小山へ登る入口部分にかつて中門があった。絵図を見る限りではここは土橋だったようだが今は普通に橋が架かっている。


三の丸と松の丸との間の空堀跡
平地部分と小山部分の境界にあった空堀はほとんど埋まってしまっているが、中門付近だけは車道に変わって辛うじて残っている。


中腹の空堀
空堀としては中門を抜けた先にある山の中腹によく残されており、黒門に続く登城路はこの外側を通っている。


黒門跡
この時はまだ開城時間前のため、開城待ちの行列が黒門跡まで出来ていた。開城時間前のため、人はあまり居ないだろうと踏んでいたが、予想が甘かったことを思い知らされることになった。まぁ、それでも開城してからはスムーズに進んだので、行列の割にはあまり苦労は無かったのは幸いだった。


鉄門
本丸の鉄門を潜った先が有料区域で、この手前でチケットを買って入城することになる。なお、この鉄門は一見するとそれらしく見えているが、復元門ではなく模擬門である。


天守閣
本丸に入ると満開の桜と天守閣が美しく、色んな角度から写真を撮るのに夢中になってしまった。なお、新しくなった鯱は遠目ではよく分からなかった。


天守閣から見た本丸
逆に天守閣から本丸を見下ろす景色も乙なもので、これはこれで良い花見になった。強いて言えば、天守内部も行列が出来ている為、ゆっくり見ることが出来ないのが唯一の難点。


天守閣から見た木曽川
天守閣から見る眼下の木曽川もまた絶景で、この眺めも素晴らしいものだった。ただ、現存天守閣の欄干が当時のままのためか低く、川側は落ちそうでちょっと怖くもあった。


内田門跡付近
本丸と桐の丸跡や松の丸跡の神社などを散策した後は、城の周囲を散策して内田門跡も見に行った。門跡自体は藪みたいになっていたが、周囲の水堀跡だけは微妙に残っていた。たぶん庭園に再利用していたのだと思うが、画像の橋なども立ち入り禁止になっており、今はもう利用されていない感じだった。


常満寺山門(松の丸裏門)
松の丸の裏門も移築されて城下に現存すると聞いたので、その門がある常満寺にも見に行った。松の丸跡は今は神社の敷地になっているが、今ちょうど針綱神社の事務所?があるあたりに当時はこの門があったようだ。


城下町
一通り城を散策した後は城下町に出て食べ歩きしたが、それにしても凄い人出だった。大昔に一度犬山城を訪れているが、その時の城下町はあまり城下町らしい雰囲気は無く、観光客もほとんど居なかっただけに正直この光景は驚愕だった。確か記憶では昔の観光客は三光稲荷神社付近の駐車場まで車や観光バスで着て、城を見た後は城下町には出ずに皆そのまま帰っていた気がする。

2018年4月15日日曜日

2018年の花見旅:駿府城(静岡県静岡市)

2018年3月31日訪城。

今年は異常に桜の開花が早かったため、3月の時点で既に満開の場所が多く、花見旅行の予定は大いに狂って軌道修正する羽目になった。
3月末日になんとか旅の目途がついたため、とりあえず2日間だけしか時間が取れなかったものの、東海地方の花見旅行へと出かけることが出来た。

初日は静岡の駿府城を訪れたが、ちょうど駿府祭りをやっており、城内は駿府城では今まで見たことが無いくらい多くの人で賑わっていた。

三の丸外堀沿いの桜
桜はややピークを過ぎた感じだったが、まだ十分満開で綺麗だった。どこの桜もだいたい綺麗だが、やはり堀沿いの桜は城跡の桜という感じが出ていて良い。


城内の桜
城内は北西部の発掘場所を除けばどこも桜は綺麗で、花見客は全体に散らばっていた。中央やや東の出店のある場所は混雑が激しかったが、城内が広いおかげであまり散策に苦労はしなかった点では良かった。


駿府まつりの会場
駿府まつりのステージのある場所も大いに賑わっていたが、花より団子というか、周囲で売っている露店の食べ物とアルコールで賑わっていたといってもいいかもしれない。


天守台跡
一通り花見とつまみ食いをした後は、天守台の発掘場所に行ったが、前回よりも天守台の規模がわかるくらい発掘が進んでおり、なかなか見事な遺跡を見ることが出来た。あと、前回よりも移動できる場所が奥に広がっていたのも良かった。


本丸の石垣
明治の廃城の際に、天守台の石垣は崩されて堀を埋めるのに使われたが、発掘して堀から引き揚げた石も見学エリアに積まれていた。これらがかつてどう積まれていたかは、今からでは確認しようもないが、画像の石なんかは明らかに積木の部分のため、隅に使用されていたことはなんとか判る。ちなみに写真だと撮影者の腕のせいか何故か小さく見えるが、実際は長辺で2m以上はあった。

2018年3月4日日曜日

2月の連休旅行:若松城惣構ほか(福島県会津若松市、喜多方市)

2018年2月11-12日訪城。

連休初日は晴天に恵まれて大内宿や若松城で祭りを楽しむことが出来たが、連休中日と最終日は一日中吹雪で移動にも困る状態で満足に楽しむことは出来なかったが、それでも意地で傘を片手に若松城の惣構え等を巡った。

ホテルから眺める景色
前日とはうって変わって雪模様となり、午前9時頃だというのに空が暗い。今回泊まったホテルニューパレスは若松城の惣堀跡の上にあり、ホテルの目の前は大町口門跡である。


大町口門跡
ホテルの玄関前にはしっかり大町口の碑と説明板があり、この近くの青春通り案内板の地図にはしっかり堀跡も描かれていた。


野口英世青春広場(惣堀跡)
ホテルの前にある広場は画像の手前から奥に向かってが惣堀の跡で、奥にある野口英世像のある場所だけ高くなっているため、縄張り図に照らし合わせると惣構えの土塁跡だと思われる。つまり、惣堀は野口英世像の手前で画像左に折れる形になる。


桂林寺口門跡と惣堀跡
大町口跡から惣堀跡に沿って西に移動して桂林寺口門跡付近に向かったが、ここには説明板や史跡碑は見当たらなかった。画像の手前の道路あたりが門跡で、左が城内、右が城下町となる。奥に向かって斜めに伸びる小道が惣堀跡である。


諏訪神社
桂林寺口の西にある諏訪神社は江戸時代と全く同じ場所に今も鎮座しており、縄張り図を現代の地図に照らし合わせた時の良い目印になる。諏訪神社なので信濃国に関わりのある保科氏の時代に勧請されたのかと思いきや、意外なことに勧請されたのは芦名氏の時代だそうである。


諏訪神社の惣構えの土塁
神社の北側には惣構えの土塁が残っており、天寧寺土塁に次ぐ規模の遺構だが、こちらは諏訪神社の境内に含まれている為か天寧寺土塁とは違って史跡指定はされていない。


案内板
諏訪神社から南西の位置にある町が"本町"で、芦名氏の時代から城下町だった場所である。街中には画像のような案内板があるが、この中にしっかり惣堀跡や歴史スポットも描かれているので参考になる。


小舘跡(西黒川館跡)
本町にある小館稲荷神社は芦名氏がこの地にやってきた時に住んだ小館(西黒川館)の館内東側に祀っていた神社で、市街地化で小館の面影は無くなってしまったが、この神社だけが形を変えて今に残る。


融通寺口門跡
画像の建物は三角食堂という地図で見るとまさに△な場所にある建物で、ちょうどこの場所が融通寺口門跡になる。画像の手前が城内で左奥に進むとさきほどの城外の本町に出る。


河原町口門跡
融通寺口から南下すると河原町口門跡に至るが、ここは見事に桝形跡に沿って道路が鍵の字に折れている。これだけハッキリしているなら説明板くらいありそうなものだが、探しても見つからなかった。


秋月悌次郎の屋敷跡
河原町口門跡の近くには秋月悌次郎屋敷跡もあった。幕末の会津藩士で、戊辰戦争関連のドラマにも一応出てくる重要人物だが、八重や白虎隊や家老の西郷などが目立つお陰で知名度はいま一つと思われる。


花畑口門跡
河原町口から惣堀跡は住宅地、学校、市営団地を縫って伸び、画像の米代団地付近に花畑口門跡がある。堀のあった画像左側の道路が低く、城内の右の団地側が微妙に高くなっているため、内外の境界が判りやすい。


南町口門跡と惣堀と十八蔵橋跡
花畑口から東へ行くとやがて南町口門跡にたどり着くが、ここには浅くなって水は張っていないものの惣堀がハッキリ残っている。また、堀に架けられていた十八蔵橋の現代風の欄干があるが、現在は橋と呼べるものは無い。


修繕中の廊下橋
風雪と戦いながら惣構え散策をした後は日が沈む前に本丸へも立ち寄ったが、前夜までやっていた絵ろうそく祭りの燭台などが全て片付けられており、まるで何事も無かったかのようになっていたのには驚いた。なお、修繕中の廊下橋を確認しようとしたところ二の丸がほとんど立ち入り禁止だったので、遠目に確認したのがこの画像。


喜多方駅前
余談になるが、連休最終日は中日の風雪がまだ可愛いくらいの吹雪となり、行く場所が無いわ、交通機関が止まるわで酷い目にあった。画像はせめて喜多方ラーメンでも食べてから帰るかと思って喜多方まで行った時の光景である。幸いなことにラーメン屋は営業していたため、膝まで雪で埋まる中をラッセルして食べてきた。


2018年2月18日日曜日

2月の連休旅行:若松城(福島県会津若松市)

2018年2月10日訪城

日が暮れてからは大内宿から会津若松市内へと移動し、「絵ろうそく祭り」のメイン会場である若松城址(鶴ヶ城公園)へと向かった。

西若松駅前
会津若松駅まで行ってバスで城址に向かうよりも、西若松駅から徒歩で向かった方が早いため西若松駅で降りたところ、駅前ではちょうど何かイベントをやっていた。城址に向かうのが優先だったためちゃんと確認していないが、絵ろうそく祭り関連のイベントだろうか?


絵ろうそくの灯篭
若松城址に入ると出丸から本丸へと向かう道の脇に絵ろうそくの灯篭が並んでおり、なかなか良い雰囲気だった。灯篭の中には画像のように洒落た感じのものや、学生が方形の筒に穴を空けて絵を作ったもの等もあり、なかなか面白かった。


本丸の風景
本丸内部には大きめの灯篭や、紙の風除けが付いた燭台が立ち並び、なんとも美しい光の風景を作り出していた。


地上から見た絵ろうそくの地上絵
本丸の中の灯篭のうちの画像の箇所は地上絵になっているが、当然ながら地上からだと何が何やらわからない。


天守閣から見た絵ろうそくの地上絵
絵ろうそく祭り期間中は夜でも天守閣内部に入れるため、天守閣の最上階に登ったところ、戊辰150年の地上絵だと分かった。また、絵ろうそくの灯りも上から見ると一味違って綺麗だった。


天守閣から見た夜景
絵ろうそくも綺麗だが、一方で夜景もまた綺麗でこれだけでも来た甲斐があったものだった。

2018年2月17日土曜日

2月の連休旅行:大内宿(福島県下郷町)

2018年2月10日訪問。

2月の連休は何か冬の風物詩を見たいと思い、ちょうど冬のお祭りが行われている福島県の会津へと出かけた。最初の目的地である大内宿の宿場町へは東武鉄道から野岩鉄道経由の会津鉄道で向かったが、その道中は朝のラッシュ時の東海道線より酷い混雑で、鉄道で移動していた小学生?たちの悲鳴や駅のホームで途方に暮れていた人々の顔が印象に残っている。

湯野上温泉駅に着いてからは1日千円の観光バスで大内宿へ移動したが、鉄道客の中には大内宿のお祭りが目当ての観光客も当然多く、バスはすぐに一杯になった。

大内宿入口
バスは宿場町に平行する車道の所にバス停があるためそこで降り、そこから宿場町に横から入れるが、一度戻って入口から入ることにした。

三澤屋
とにかく腹が減ってはなんとやらなので、大内宿名物の蕎麦を食べに三澤屋へと向かったが昼時だったこともあって1時間待ちだった。番号札を渡されて1時間後あたりにまた来てくださいと言われたので、50分ほど散策することにした。


雪像
宿場町は雪灯籠が並べられてまさに冬の装いだったが、所々に手作りの雪像やカマクラ等があって記念撮影で盛り上がっていた。この画像なんかも人が居なくなった一瞬をついて撮ったもの。


観音堂の階段
宿場町の家々では様々なものを販売しており、美味そうな食い物に心を惹かれたが昼飯前なので我慢した。そして、町を一望できる高台まで登ろうとしたら、画像の通り以前登った観音堂の階段は閉鎖されていた。左の方に迂回路があるのだが、こちらはこちらで急ではないにも関わらず、溶けた雪と圧雪で滑りやすくなっており大変だった。


高台からの眺め
大内宿はやはり観音堂のある高台からの眺めが格別で、ここから見ると宿場町と人の流れが良く見えて面白い。江戸時代はここが江戸から会津若松に向かう今でいう国道みたいなものだったのだから、人や馬や荷車などで賑わっていたと思うが、人だけならたぶん現代の方が賑わっているような気もする。


イベント会場
三澤屋で蕎麦を食べた後は、宿場町中心にあるイベント会場でよさこい等のイベントを見たりして楽しんだが、無料で振舞われていた肉汁が美味しかったのが印象に残った。


団子の木
イベント会場の木には正月によく見るアレが飾られていた。地元でも正月に飾られており、後から揚げ餅にして食べたりしていたが、よく考えてみたら正式名称を知らなかった。餅花だとか繭玉だとか地域によって呼び方が違うようだが、大内宿では「団子の木」と言うようだ。


高倉神社
食ったり遊んだりしているうちに日も暮れてきたので最後に町はずれの高倉神社にお参りしてから帰ることにした。ここは高倉宮こと以仁王を祀った神社で、平家討伐計画が漏れて宇治で敗れた高倉宮は東国に落ち延びてこの地にしばらく滞在した伝説が元になっている。なお、町はずれにあるにも関わらず、観光客がそこそここちらにも来ており意外だった。

夜には灯篭に明かりが灯ったり花火が打ち上げられたりするそうだったが、この日はこの後に若松の「絵ろうそく祭り」を見に行く予定だったため、残念ながら見るのは諦めた。次に来る時は湯野上温泉にでも泊まって夜までじっくり見たいものである。

2018年1月31日水曜日

東日本行き当たりばったり新年初旅行:松本城(長野県松本市)

2018年1月8日訪城。

夜の長野から松本へ移動して一泊し、旅の最終日は松本城へと向かった。松本市街は雪も無く散策し易かったが、それでも天候が微妙なこともあって寒かった。松本城はなんだかんだ言ってけっこうな回数訪れているので、今回は少し今まで見ていない所を周ることにした。

黒門
松本城はやはり多くの観光客で賑わっていたが、本丸の入城ゲートとなる黒門は通れるものの何やら修理中のようだった。オフシーズンなので天守閣が混むことは無さそうだったが、今回は天守閣はパス。


トレンチ跡
二の丸の南西部に行くと何やらフェンスで囲まれた部分があったが、どうやらトレンチ調査をした部分らしい。今は無くなってしまった土塁を調べる為だったようだが、どうも松本城に学校が建てられていた頃の遺構が出てきたらしい。


通れない橋
そういや、松本城は昔は埋門にも本丸入城口があったが、現在は埋門は閉鎖されており、橋もごらんのとおり封鎖されている。元々、松本地震の被害が閉鎖の原因だったが、黒門の一か所に入口を限定したらメリットが大きかったため、現状こっちの入口の復活は無くなったようだ。


埋橋と天守閣
まぁ、橋が封鎖されているお陰で、お馴染みの橋を入れた構図で人が入らないように撮る苦労をする必要が無くなったが、一方で記念写真には難しい場所になったとも言える。


三の丸跡西側駐車場
二の丸跡西側からさらに西に出た砂利の駐車場は三の丸跡になるが、画像の真ん中より左側は惣堀の跡でもある。この場所だと堀と三の丸の境界が判りづらいが、画像とは反対の南側を見ると境界はよくわかった。


三の丸跡惣堀との境界
三の丸と惣堀との境界がちょうど水路になって残っており、こちら側はよく見ると画像右側の惣堀跡が低くなっているので分かりやすい。


三の丸西不明門馬出跡の説明板
今まで気づかなかったが、三の丸の馬出跡にもちゃんと説明板が設置されていた。画像は前述の砂利の駐車場の西側にあった西不明門馬出の説明板。


三の丸西不明門馬出跡
正直なところ馬出跡は遺構が残っておらず、画像の説明板のある辺りの馬出の外側の堀跡の地形が凹んでいるのが辛うじて判るくらい。


三の丸北不明門馬出跡
同様に三の丸跡北西部の北不明門馬出跡にも行ってみたが、こちらは馬出の外側の堀に向かって傾斜しているのが判る程度。


三の丸北門馬出跡
三の丸跡北東部の北門馬出跡は惣堀の一部が残っていることもあって、門と馬出の間の土橋の跡がよく判る。全体的に惣堀跡北側は地形が凹んでいるので非常に分かりやすい。


三の丸惣堀
三の丸は東側の惣堀だけが現存している。画像の右奥の庁舎の手前に石垣があるが、遠目でそこにも説明板が見えたので行ってみたが、庁舎の駐車場の奥にあるためまず見る人が居無さそうな隠れ説明板であった。


惣堀の石垣修理の説明板
説明板は石垣の修理に伴う調査記録が載っており、逆茂木のような杭が埋まっていたことと、土塁の法面が判明したのでアスファルトの地面に色を付けて示したことなどが書かれていた。


三の丸土塁跡
ちなみに庁舎の南側には三の丸土塁の跡が残っており、庭園の築山に再利用されている。画像は土塁の外側から見た光景だが、内側の方は庭園になっている。

惣堀跡を時計回りに散策している最中に雨が降り始めてしまったため、今回の旅はここでおしまいにして、後は昼飯を食べて我が家への帰途についた。